歴史をめぐる冒険

最近この話ばかりですが。


日本にいる「真っ当な「日中関係史」研究者」は、つねに2正面作戦を強いられるわけです。内には、「歴史修正主義者」(「つくる会史観」でもいいですが)との戦い、そして外には、「歴史認識的に噛み合わない中韓他の研究者」との戦い。


とはいえ、「つくる会」的なものに真っ向から立ち向かう歴史学者というのは、実は少ない。多くは、「そんな、素人のタワ言に付き合ってなどいられない」という冷笑的態度とともに、無視する(無視するふりをする)のです。「歴史認識的に噛み合わない中韓他の研究者」に対してもそう。「どうせなに言ってもムダ」と、殻に引きこもってしまう。揶揄するわけでは全くないですが、先日のid:almadainiさんのコメントのように、「発信競争に関しては正直僕は勝つ見込みのない戦いだと思うんですよね・・・。やはり日本は「量より質」でなんとかしないと、と」みたいな対応が一般的です。


こうした態度を「間違っている」といえるだけの器量は持ち合わせていませんが、ただ、やはりこれは、さまざまな副作用ももたらします。まず、「日本の一般的な史観は、「つくる会史観」だ」と思われてしまうこと。中国や韓国のマスコミをみていると、「つくる会」的なものにばかり注目が集まり、結果的に、「それが日本の一般的な歴史認識だ」という「認識」が生じてしまっているのではないか、という懸念があります。学者たちの「儀礼的無関心」によって、「日本の学者もそれを追認している」と思われるのではないか、という問題。


次に、日本においても、「中国の歴史研究は、『レイプ・オブ・ナンキン』とか『マオ』とか、そういうのが正統なものとしてまかり通っている」と認識されてしまうのではないか、という懸念。これらはいうまでもなく研究というよりは「読み物」「物語」とでもいうべきものですが(だから無価値とはいえないにしろ)、しかし日本の学者がこれらに「儀礼的無関心」を行うことによって(後者には、それなりにきちんとした反論が行われていますが)、日本にノーチェックで進入してしまい、「こんなのが中国の歴史研究なんだ」とあらぬ疑いをかけられてしまうのです(いうまでもなく、中国にも、たんなる「イデオロギー開陳」にとどまらない、きちんとした実証研究はあるし、しかも増えてきている、という印象は、川島氏同様、あります)。


まあこの処方箋はというと、昔からいわれているように「学者はもっと世間・世界に発信を」ということに尽きるわけで、しかもこれが一番難しいのでしょうが、まあ努力は怠らないようにしないとな、と。