負荷

最近中国の大学で騒がれているのはコレ。

上海財経大学出台新規取消碩士学位与論文挂鈎

中国の修士・博士生は、学位をもらうのに、必ず「何らかの雑誌に論文を発表しなければならない」という規定があるのですが、上海財経大学がこの決まりをなくした、というもの。中国の大学界ではけっこうデカい出来事らしく、CCTVでも報道されています。

恥ずかしながらそんな規定があるなんて知りませんでしたが、どうもこれ、「修士論文や博士論文がなくなる」というものではないようです。あくまでも、「期刊や雑誌上に」と書いてありますので。

しかし、それって、かなり重い負荷ですよね。この記事にも書いてありますが、そもそも財経大学だけで3000人も修士生がいるわけで、そして全国では何十万だかの修士生がいるわけで、そのみんなが雑誌に論文を発表してたらいくら雑誌があっても足りません。やっぱりこれ、学位論文を含めてますよねえ。


しかし取り消した理由がまたふるっていて、「学生の経済的負担が大きいから」というのはまだ分かるとしても、「多くの学生に論文を課すと、パクりが横行したり、雑誌の質を落とすから」。なんかこれ、本末転倒ような気がするのですが。「カンニングをする学生が多いので、テストはやめます」という理屈と同じなのでは、と。「パクった学生の学位は剥奪する」という中国人民大学校長の意見が正しいんじゃないでしょうかね。


しかし、中国では、この五年間で大学生の数が倍以上に増えるという急激な「学歴インフレ」状態にあります。しかも大学が独立採算性になったことで各大学とも学生の呼び込みに懸命になる、ゆえに「負荷を軽くする」ことを売りにする大学が出始める、ゆえに学生の質が下がる、という悪循環に陥ることは、日本の例を見ても目に見えております。


そして(これはうちの大学でというわけではなく、あくまで一般論ですが)日本でも、「(卒業)論文」の意味というのも考え直さねばなりませんね。今の多くの学生は、それこそ1年生からつきっきりで、卒業論文のためだけの指導をする、ということでもしない限り、まともな論文など書けはしません。実際には、卒論のテーマを決めるのが3年後半、本格的に書き始めるのが4年の夏休み。これじゃあ、レポートに毛が生えたようなものしか書けないわけです。


卒論のため「だけ」に大学に入ったわけではないのでそれは仕方ないのですが、まあ難しいところです。