ところ変われば認識変わる

昨夜、暑さで寝られず、積ん読状態だった『国境を越える歴史認識』(ISBN:4130230530)を読みました。

国境を越える歴史認識―日中対話の試み

国境を越える歴史認識―日中対話の試み

帯に「困難だからこそ、いま、対話を」とか「日中同時出版」とか銘打たれているので、「どうせ“未来をひらく歴史”系のやつだろ」と勝手に思い込んでいたのですが、まったく違いました。読み応え抜群。まあ、執筆陣を見れば、そんじょそこらの論文集じゃないというのは分かったのですがね。以下、断片的にご紹介。


1章 茂木敏夫「日中関係史の語り方−19世紀後半」

たしかに、「守旧の中国」を侮蔑する定型的な中国理解とはうらはらに、[1880年代]当時の日本では、日本の台湾出兵を契機に建設された強大な[中国の]北洋艦隊が大きな脅威となっていた。1886年8月、北洋海軍の巨艦定遠以下4隻の長崎寄港によるデモンストレーションが、当時の日本の朝野に衝撃を与え、「強い中国」の印象を与えたことは、中国史ではあまり語られない。このとき長崎に上陸した水兵が酔って暴行し逮捕され、その翌々日には日本警官と水兵とが乱闘になり、双方に多数の死傷者を出した、いわゆる長崎事件が起こった。日本では中国の「傲慢無礼」を非難する論調が目立ったが、これは、甲申政変以後、朝鮮での主導権を完全に中国に奪われていた、当時の日本の鬱憤だったともいえよう。

中国に対する「侮蔑」は、その実中国に対する「恐怖」の歪んだ発露であった、というのはなるほど。このあたり、今のとくにウヨ界隈とオーバーラップします。


次に、第2章 川島真「関係緊密化と対立の原型−日清戦争後から二十一カ条要求まで」。川島氏は、我らの世界ではスーパースターといってもいい人です。HPも充実。

歴史叙述においても政治外交面での非友好と、革命運動や文人交流などにおける友好という、「日中友好・非友好」という二分法での説明をどのように乗り越えるかという課題もある。さらには、近代中国の形成に対する日本の影響をいかに見積もるかという論点もあろう。ここでは、日本があってこそ、中国の近代があったと見る立場と、日本こそが中国の近代の最大の妨害者だとする立場が交錯する。

日本が文明国化を達成しようとする際に、中国を非文明国として位置づけ、否定的な意味での比較対象としてきたこと、中国を否定することで自らを肯定したこと、それが近代日本の対中イメージ=「蔑視」形成へとつながることになったことは看過できない。【中略】
昨今の日本における対中意識の硬化は、この日本=文明国、中国=非文明国という意識的な対照が、中国の経済発展と国際社会における地位向上によって揺らいできているために、日本=文明国という図式の反面教師を喪失するかもしれないという、日本のアイデンティティ・クライシスとして説明できるであろう。

う〜む、さすが。切れ味抜群。

日本では明治期から20世紀初頭にかけての琉球朝鮮半島、中国、台湾への侵出について、それを国際法に適った行為、もしくは当時の国際政治からして容認される行為として位置づける傾向にある。(……)しかし、中国史では、国際法的に、あるいは手続法的に「正しい」侵略行為というものを想定していない。たとえ国際法に適っていたとしても(多くの場合、違法性が強調されたり、無効だとされるが)、侵略は侵略であり、中国の国土を割譲したものであっても、本来は中国のものであり、それが奪われたものであるから、最終的には「回帰」すべきだということになる。

日本が[日清戦争によって]その滅びゆく清から得た賠償金によって重工業化に弾みをつけたという位置づけも、日本側にとっては戦勝の正当な対価として認識されても、中国側には日本の近代化が中国を踏み台にしてなされたという見方が出てくることになろう。

日露戦争の段階では日中間には全面的対立というよりも宥和的な傾向さえあった。だが、日本から見れば、中国は日本に従うはずの存在として映り、開戦後には日本に靡かない中国への苛立ちを募らせた。中国から見れば、共通の敵としてのロシアの存在があり、ある意味で親日的な中立政策を採用したが、それはあくまでも、日本を利用してロシアに占領された満洲の利権回復を企図したためであって、対日宥和それ自体が政策主眼ではなかった。従って、戦争が進む中で、日本を次第にロシアに代わる脅威として認識するようになるのである。こうした傾向は、日本が満洲利権を拡大するとともに強まっていく。これは、「巨大な犠牲を払って獲得した満洲利権/満鉄」という日本の発想とは大きく異なる。


下は同論文に引用されている「国際連盟での松岡洋右と顧維鈞の応酬」(原載は『国際連盟に於ける日支問題議事録 後編』1932)。

(松岡)日本は支那の統一を妨げたと云ふけれども、支那共和国を救ったのは日本である。(中略)[日露戦争において]日本は余儀なく戦ひ、満洲の地を取り戻し、それを支那に返した。吾々は数十万の生霊を失ひ、二十億円の負債を残した。この犠牲に対して感謝の一言位あって然る可きである。この負債は未だに払い済みとなってゐない。日本はその為め今尚苦しんでゐる。[強調ママ]【中略】
(顧維鈞)松岡氏は日本に大陸政策なるものなし、日本は如何なる国よりも平和を好む国民であり、取るよりも多くを與へてゐると断言されたが、琉球諸島、台湾、朝鮮及び今回の満洲、これ等は今日誰の手中に在るか松岡氏はこれを言わなかった。

「お前らを守ってやったんだから感謝しろ」という押しつけがましさは、なんかこんな記事ともかぶります。


そのほかには服部龍二「「田中上奏文」をめぐる論争−実存説と偽造説の間」も面白かった。また、同じく川島氏の「歴史対話と史料研究」は、現在の、日中歴史研究・歴史認識における問題点を整理した、極めて分かりやすい見取り図になっています。

脱構築ポストモダンなど]こういったある意味で「先端的な」議論を中国の歴史学と行うことは難しい。中国でも「後学」(ポストモダン)的論調が見られるが、多くの場合、国民国家建設を進めている中国の歴史学界に対して、国民国家の相対化、多様化された歴史学の効用を語ったところで、議論は逆に日本の国家的な責任を淡化するのではないかとの批判にさらされることも多い。

これはまさに本質を突く問題です。

海外のアカデミズムに対する中国系研究者の影響力が増す中で、日中間の「歴史問題」が国際化、全球化してきているのも昨今の現象である。【中略】そして、日本と中国の間に歴史認識の上で立場の相違があるとしても、日本側の世界への発信力が圧倒的に弱いため、世界の近代日中関係史理解は次第に中国側の視点になっていくことは明らかである。

ここではアイリス・チャンが例に挙げられています。そして、「日本史業界がもっと世界への発信力をつけろ、もしくは世界の研究者に開放しろ」という提言がなされています。

こうしてみてくると、21世紀は、日中間での「歴史認識発信競争の時代」になるのでしょうか。よし、日本ももっともっと強くならなければ……あれ、結局こうなっちゃうわけか。


さらに書きたいこと(引用したいもの)があるのですが疲れたのでまた明日。


しかしこの本を読んで表題のようなアホなまとめしかできないおいらが一番アホですねこりゃ。