アポリア

秋田の事件で、「警察がちゃんとしていれば2番目の事件は防げた」みたいな言い草をよく聞きますが、2つの点で違和感が残ります。


1.そうはいってもやっぱり殺したヤツが一番悪いだろう。

2.そんなこといってると、「じゃあ警察権力をもっともっと強化しよう」みたいな動きを呼び込むことになっちゃうんじゃないか。


完全なアナロジーではないですが、ミサイル事件でも同じようなことを感じます。「日本外交は失敗だった」という意見がありますが(僕もそう思いますが)、とはいえ、


1.そうはいってもやっぱり撃ったヤツが一番悪いだろう。

2.そんなこといってると、「今回の外交は屈辱だ。日本の国力をもっともっと強化しよう」みたいな動きを呼び込むことになっちゃうんじゃないか。


違和感の大本は、こういうふうに警察や外交を批判するのがたいてい左派メディア・知識人だということです。とくにミサイル事件では。右派メディアがノンキに「今回の外交は大成功」と歌いあげているのは論外として、左派は、朝日は今回かなり自制しているように感じますが、とくに共同通信が、「日本外交の失敗」を、かなり執拗に追及しています。


しかし、左派が主張する「北朝鮮に対する融和路線・ソフトランディング」が成功するには、むしろ今回のように、(今の時点での方向性による)日本外交が失敗してくれた方が都合がいいわけです。もし今回、有り得ないことではあったでしょうが、日本外交が「成功」を収めて、例の「国連憲章七章の明記」が盛り込まれていたら、左派メディアは賞賛の声を送ったでしょうか。んなことありません。結局は政府を叩いていたでしょう。


もちろん、まさか記事に、「日本外交は大失敗でした。ああよかったよかった」とは書けないでしょう。とはいえ、このあたりの捻れ、政府や国家権力を叩けば叩くほど、それらを強化することにもつながりかねないというアポリア、あるいは、国家の内部にいながら国家を叩くことの限界を、左派は宿命的に負っているような気がするのです。「結局は、政府や国家を腐すことしかできない」という印象を、覆せる時は来るのでしょうか。