臭いものには……
学生にも教えているブログでこういうこと書くのはちょっとアレかもしれませんが……
学生の学力低下がいわれて久しいものがあります。
が、それとはべつに、うちの大学に入学してくる生徒の偏差値も、じょじょに下がって入るんだそうです。
モノが偏差値ですから、これは「日本の若者の学力低下」とはまた別の、「うちの大学の(人気やらなにやらの)低下」ということなんでしょう。
そんなこんなであれこれ会議が開かれるわけですが、しかしその中での議論が、どうにも性に合わないところがあります。
会議での議論は、「いかに質の高い学生に受験してもらうか」、もっとロコツに言っちゃうと、「いかに質の悪い学生に入ってもらわないようにするか」です。「悪貨が良貨を……」なんて言葉が本当に飛び交ったりしています。
これってどうなんでしょう……
学校の役割というのは、あくまで教育です。いうまでもなく。
そして教育というのは、本来的には、普遍的なものじゃなくてはならないんじゃないか、と思うのです。「広く社会のため」「社会に役立つ人を育てるため」のものであるべきで。
他とは一線を画して、「うちの学校だけよければいいんだ」みたいな考え方は、そもそも教育なるものの理念に反するんじゃないか、と。当たり前ですが、「社会はうちの大学からのみできている」わけではないのですから、「うちの大学に質のよい学生が入ってくる」ことで社会がよくなるはずもありません。
「質の悪い学生」というのは、実際にいます。仲間を生き埋めにしちゃうような、なんていうのは悪い冗談としても、勉強もまったくやる気がなく、しかも自分がやる気がないだけではなく周りの学生にも悪影響を与えちゃうような学生は、確実に存在しているし、うちの大学でも増えている、ような気はします。
しかし、そういう学生をすくい上げ、少しでもマシにしていく、というのが、教育なんじゃないですかね。「悪い学生に入ってもらわないように……」っていう理屈って、(なお、これはあくまでも便宜上の比喩です。「悪い学生」が「ゴミ」だ、といいたいわけではむろんありません)自分の家の前のゴミを隣の家の前に掃き出して、「ああ、うちはきれいになった」といっているようなものなんじゃない?と。まさに「臭いものには」的発想。
W大みたいなとこならともかく、うちみたいなちっぽけな大学でできることなんて、本当に限られています。
だからこそ、こういう状況にも開き直って、「広く社会のため」の教育を目指します、ぐらいいってもいいんじゃないかと思うのですが。
いや、これが、究極の理想論であるのは分かっているんですが……最近、「うちの大学の生き残りのため」「うちの学部の生き残りのため」「うちの学科の(以下略」みたいなセリフをあまりに耳にするので。「うちの大学・学部・学科のために、学生がいるんじゃねえよ!!」と、ただでさえ疲れて苛立っているところに何時間も会議で拘束された腹いせに叫んでみるのでした。