あの当時にしては……

昔のこと(特に文学とか)を研究していると「当時にしては進んでいた・画期的だった」という結論になりがちで、これもまた結論としては無難な反面、やや虚しさを覚えることもあります。


今、「中国言語表象論」なる授業(まったく、誰がこんな題目名考えたのか)で、「1930年代の映画」を見せています。当時の映画人たちの苦闘や息吹を感じてもらおう、と思ってのことですが、まあちょっと失敗だったなと。


というのも、なんの予備知識もない学生(=受講したほとんどの学生)にとっては、当時の白黒・サイレント映画など、「古〜い、遅れた映画」としか思われない、ということが分かってきたからです。「いや、これは、当時にしたら画期的な技術だったんだよ」といくら力説しても「ふ〜ん」で終わり。


以前も言及した「新女性」も、「この当時の女性の苦闘がしのばれます」と解説してもこちらもふ〜ん。封建的な家とか女性の自立とか、今となっては、すでに問題とはなりにくくなってきています(消え去ったわけではないにしろ)。うちの学生にとっては、「おしん」とか見せられて、「昔の女性は、大変だったんだよ」と説教されるのと、ほとんど変わらないんだろうなあ、と。そんな説教、僕も聞かされるのイヤですし。


「あの当時」の事情を押さえた上でないと、「あの当時にしては……」は成り立たない、というのを改めて思い知りました。そして、「今」の「進んだ」視点で、昔の「最先端」を評価する難しさも。