好きなものしか

例えば、「好きなテレビ番組を見てよい」状況にある時、わざわざ嫌いな番組・興味のない番組・見ていてムカついてくる番組を見る人はいないでしょう。まあ、「ネタとしてみる」という可能性はあるとしても。


また、「たまには本でも買うか」という場合、これまた、興味のない本・自分には難しそうな本・読んでムカつくことが分かり切っている本を選ぶ人も少ないでしょう。


僕は中国や韓国が全体としてそれほど好きではなく、相対的に日本はまだまともだと思ってはいますが、しかし商売柄、いわゆる「親中・親韓」本も、というかむしろそっちの方を、読むようにしています。それにはいろいろ理由がありますが、まず所属している業界において、「親中・親韓」が圧倒的に主流であること。主流というよりは「体制側」といっていいかもしれません。学会発表でちょっとでも「日本が攻めてきたことの功」みたいなのに触れるとそれだけで罵声が飛んでくる世界です。で、僕は「業界内反体制派」を気取れるほどの度胸もないヘタレなので、長いものには巻かれておこう、という魂胆です。
そして、いわゆる「反中・反韓」本に比べれば、「親中・親韓」本のほうが、まだ圧倒的にマシ、ということもあります。人材不足なのか、あるいはみな僕と同じく「長いものには巻かれている」のか、まともに「反中・反韓」を論じている人はほとんどいません。みな単に感情にまかせて、「中国キライ、韓国キライ」と叫んでいるだけです。


しかし、「親中・親韓」本というのは、読んでいるとまあなんともムカムカするものがほとんどです。よくもまあここまで、と。たとえ新書であっても、一般の人が「たまには本でも買うか」という時に手に取るものではないな、とは思います。


だからもし、「反中・反韓」の人に手にとってほしかったら、単なる「過去の贖罪」とか「(なりふりかまわずの)東アジア共同体」とかのいかにも「耳障りの悪い」ものではなく、それなりに筋の通った内容で書いてもらわないと。


「それなりに筋の通った内容」、これが一番難しいのですが。