後出しじゃんけん

文学にしろ、歴史にしろ、「昔のこと(人)」を扱う研究って、「後出しじゃんけん」なんだよなあ、となんだかこのごろ思います。


「昔のこと(人)」を評価する時、「そういう時代だったから、しょうがない」と「時代はどうあれ、良いものは良い、悪いものは悪い」と、この二つの間を行ったり来たり、もしくは匙加減するわけです。

一般的には、後者が主流です。

でも僕は、ひそかに前者の方に惹かれています。

というのも、自分が、弱い弱い人間だということを知っているからです。時代を超えた「真理」とか「善」とかに基づいて、信念を貫く生き方ができるとはとても思えない。戦争中に生きてたら、なんの疑問も持たずに「1億玉砕」とか「欲しがりません勝つまでは」とか実践していたでしょう。状況によっては、例えば中国に派遣されて、「武勇伝」を行っていた可能性も充分です(その場で怖くなってヘタレる可能性も充分ですが)。

「だからしょうがなかったんだ」ではダメなのです。もちろん。でも一方では、僕のように「弱い人間」でこの世は溢れている、というのも、また事実です。

弱い人間が流されて「変な方向」に行ってしまわないようなシステム作りが重要だ、と思うのです。

でもどういうシステムが良いのか、今のところ見当もつきませんが。