学位

いつもお世話になっているチナヲチ。あまりの嫌中に食傷気味になることもありますが(というか、「中国の新聞を悪意100%で読めばこういう解釈もできるのか」と、ある意味勉強になります)、新聞資料のみでここまで分析ができる(その分析がはたして正しいのか、結局はよくある「中国崩壊論」の一つじゃないか、という疑問は無視できないとしても)、というのは、なかなかのものだと思います。


そのチナヲチで、こんな記事が。
http://blog.goo.ne.jp/gokenin168/e/62a64f26444704f162e02ca3ad4692bc


なーるほど、こりゃ学生も怒りますわな。


確かに中国の大学には、「○○大学××学院」という、大学が経営している専門学校みたいなのがいっぱいあって、それらは「二類」と呼ばれ、「一類」である「本科生」とは普通区別されています。大学生の中にも差別意識があるようで、留学中、日本語系の「本科生」(女の子)とおしゃべりしていて、「日本語スピーチコンテスト」の話になって、僕が(実はこれは、あとで「誤報」だった、ということが分かったのですが)「コンテストには、(正確な名前は忘れましたが)「日本語学院」の学生も参加するんだって」といったら、その女の子が「はぁ?あの子たちがコンテストに出るですって??そんなこと許されるの???」みたいに、かなり強烈に不快感を表していたのを思い出します。その当時はその意味がよく分からなかったのですが、今にしてみると、ふうん、そういうことだったのか、と。


中国では、今でも大学生は(日本よりは)エリートですが、しかしその「エリート度」も段々低下してきているのは事実です。日本ほどではないにしろ、カネさえあるなら(←しかしこれが、中国の場合、また容易ではないのですが)誰でもどこかの大学に入れるようになってきている。だからこそ、受験競争がますます激烈になってきているわけです。少しでも上の「名牌大学」を目指して、熾烈な競争が行われる。学生は学生で、焦りがある。大学を出ても以前のように職が保証されているわけではなく、あてどない就職活動に走り回らねばならない。(六四の時みたいな)「エリートによる自由の希求」とはまた違った意味での不満が、キャンパスには渦巻いているんでしょう。


そして、上に立つ者(本科生とか)は少しでも下(「学院生」)との差別化を図ろうとし、下は下で、なんとか上に這い上がろうとする。そういう、あまり健全とは思えない欲望がほの見えて、なんともやるせなくなる事件です。


しかし、僕からすると(あるいは、中国に携わったことのある人ならおわかりでしょうが)、卒業証書にそこまでこだわるというのがやや意外。いや、こだわるのは分かるのですが、それだったら、ニセ証書をそこらで買えばいいのでは?などと不謹慎なことを考えてしまいました。なんでも、世界にいる「(自称)北京大学卒業生」は、実際の数の数倍とか数十倍とかいわれていますのでね。