給料分働く

実生活でも、あるいはブログを見ていても、「給料分しか働かない」「そんなにしゃかりきになって働くほど、給料もらっていないし」みたいな言い分を、よく聞きます。

先日も、ある先生と短期語学留学について話していて、「今度、これ、先方の大学ときちんとした提携結んでやりましょうよ」といったら、「いや、面倒くさい。そこまでやるほどこの大学から給料もらっていないし」とあっさり言われてしまいました。


しかし、実際には、「給料分の仕事」を算定するのは、ほとんどの場合不可能です。あくまでも気分の問題。「こんな安月給で、マジメに働いてられっかよ!」という愚痴。


これは、思うに、スポーツにおいて、「練習は、適当に流す」という状況と似ているのでは、と。

「どうせ本番じゃないし」といって手を抜いていると、結局本番でも力を出せなくなる。

普段からそれなりにはフルスロットルでないと、いざ「仕事分の給料」をもらった時(まあ、こういうことを普段から言っていて、かつ(愚痴だけじゃなく)本当に仕事をしない人は、最後まで「仕事分の給料」はもらえないのでしょうが)、じゃあ本気で仕事をするか、という切り替えなどできないでしょう。


なので僕も、普段から全力で、仕事をするようにしています。




……と、これで終われば、内田先生的「いい話」なのでしょうが、しかしこういう考え自体、純日本的なものだ、というのも、分かっているんです。

実は前述の、一緒に語学研修やろうと話し合った先生は中国人なんですが、彼などはまことにドライ、「大学のために、一生懸命頑張る」などということは毛ほども思ってません(たぶん)。隙あらば、あるいはできる限り、さぼろう休もうと考えています。これは完全に「標準的中国人」の考え方。「会社人間」の中国人など、聞いたことありません。自分のこと(あるいは自分の家族のこと)が何よりも第一。

なので、一緒に仕事をしているとまあ腹の立つことばかりなのですが、しかしじゃあ、彼のことを怒ったり笑ったりできるか?いや、できたとしても、逆に彼の方から「日本人はアホだ、カネにもならんのに、あんなに一生懸命働いて」と笑われたら、どう答えるか?


日本で一向にサービス残業がやまなかったり、過労死がなくならないのは、このへんに理由があるんでしょう。

とはいえ、この「純日本的」な考え方、今や世界を浸食しつつあるそうで*1。こわいこわい。

*1:大野正和『まなざしに管理される職場』青弓社、2005