政治的なものの忌避とかことばの軽さとか

 今度、地元のR××ラジオの番組に出ることになりました。


 とはいっても、別に地元ラジオ局が「sean先生に、ぜひ出ていただきたくて……」と依頼してきたわけではなく、うちの大学が、宣伝のために、ラジオ局の放送枠を買って、教員に専門についてしゃべらせる、というものです。当然ノーギャラなうえに、一般の業務ということで、手当も出ません。まあしかし、せっかくの機会ですので、引き受けることにしたわけです。


 「内容は自由」ということでしたので、このエントリの内容についてしゃべることにしました。ラジオ局の担当の方との打ち合わせで原稿を渡したら、「うん、まあ、これなら」という感じでしたが、「一応、社に戻って、担当と相談します」とのことでした。


 そして昨日、こんな返事が。
猫猫先生なら先方の名前も出しちゃいそうですが、ぼくはとてもとても。ちなみに担当者は女性)

seanさま

ご連絡が遅れて申し訳ありません。
原稿を改めて読み、担当のアナウンサーとも相談したのですが、公の放送、○○大学の冠をつけての放送内容としては、テーマ・表現とも厳しい・・・というのが実感です。

ナーバスな関係にある中で、言葉を選んだとしても、どうリスナーに受け止められるのか(いろいろな立場の方がいらっしゃるわけですので・・・)、正直不安に思います。
言葉のはしばしを重箱の隅をつっつくように、指摘されたら、かなり危ない・・・・!と思います。中にある放送禁止用語を除いたとしても・・・です。

もう一度ご相談にうかがわせてください。


 ……orz


 なんというか、3つのレベルでがっかりしました。


1.まず、この程度の内容ですら、忌避されてしまうのか、ということ。先のエントリをご覧になってもらえれば分かるように、ほんと、なんてことない内容なんですよ。まあ中国べったりの人(あるいは中国の人)が聴けばやや面白くはないかもしれませんが、しかしかといって反中・嫌中一色というわけでも(僕自身は)ないつもりです。
しかし、リスナーがそう(反中だと)判断する、という可能性は、もちろんあります。でもその時にはそこから対話・議論をしていけばいいわけで、ちょっとでもヤバゲな問題については触れない、では、いつまでたっても問題は解決どころか問題があることすら認識されないという可能性もあるわけです。
(なお、ミギーの人だったら「内容が反中だからダメ出しされた、やっぱりメディアは中国寄りだ」というかもしれませんが、たぶんそんなことはない、ラジオ局の中の人はそこまで考えてはいないです。たんに「ヤバそうだからやめとこう」ということでしょう)

 まあしかし、ラジオ局としては、放送内容のクレームは普通出演者ではなくラジオ局に来るわけで、こっちから頼んだわけでもない放送のクレームに付き合わされてはかなわん、というのも、分かります。しかしながら、


2.「公の放送、○○大学の冠をつけての放送内容としては、テーマ・表現とも厳しい」って、ナニソレ?前者はいうまでもなく、後者も、大学の担当部署が言ってくるならともかく、なんでラジオ局にいわれなきゃならんの??

 上で述べたように、「R××ラジオとしては、この内容ではダメ」というなら、わかります。そりゃ、何を流すか流さないかは、向こうが決めることですからね。でも「公の放送としては……」とかいわれると、じゃなにか?オレのテーマは公にはしてダメなものだ、っちゅうのか?と。そもそも「公」の放送って、なに?あんたら、公なの?たんなる営利団体だろ(これは別に営利団体を貶めているわけではまったくないですが)?もしあんたらが公だとしても、その時にはオレも公だよ!

 しかし、


3.メールの書き手は、たぶん「公」とかの問題について、なんにも考えてはいない。
ここでメールの書き手に「そもそもあなたは、公というのをどういう意味で……」とか難詰しても、「またへなちょこ学者がなんか屁理屈言ってるよ」としか思われないだろうなあ、と思うと、抗議する前から徒労感が襲ってきます。いや、もちろん、それなりの抗議をした方がいいのは分かるのですが、なんというか、ここでペラッと公とか書いちゃう時点で、「この人には何を言ってもムダ」感が漂ってきます。
(この「徒労感」については、以前、僕もこのブログのコメントで投げつけられたことがありますが、その方の気持ちが、ちょっとだけ分かりました)

 僕自身は、とくにブログなどでの「ことばの軽さ」については、わりと寛容な方です。このエントリについても、じゅうぶんにGJ感を感じつつも、何人かのブクマコメントにある「このエントリ自体の信憑性はどうやって検証すればいいのか」という問題や、このエントリにも、それなりの理はある、と考えてしまう悪い人間です。
 しかし、自分がこうやって「被害者」になってみると、「ことばの軽さ」という問題は、笑ってはすまされない問題なのかも、と考え始めております。



 で、最終的にどうしたか。

 結局、政治的なものを含まない、まあ当たり障りのないものに、テーマを変えることにしました。もちろんここで「いや、オレは断固このテーマでやる。それがダメなら降りる」ということも可能でしょう。そしたら向こうは「そうですか。では別の人にお願いします」となるでしょう。これでは結局、問題発信ができない、という点では何も変わりません。なのでせめて、自分が後に自由に発信ができるようになる、その布石、という意味で、毒にも薬にもならんテーマでしゃべることにしました。

 これが結局良いことなのか悪いことなのかは、今の時点ではちょっとわかりませんが。