他人の不幸

 中国ニュースを見始めて2ヶ月ほど。なかなか興味深い。

 昨日だったかな、トップの次ぐらいに、「アメリカで大規模な反戦デモ」というニュースが報じられていました。自分の国で起きているいろんな騒ぎは無視なのに、他国の騒ぎには敏感だなおい、という感じ。

 また、僕が3月に中国に行ってすぐぐらいには、「岩国市で、米軍受け入れの住民投票が行われ、反対が圧倒的多数」というニュースが、それなりに大きく報道されていました。えっ、他国の、地方都市の住民投票の、しかも中国とは「直接」には関係のない出来事がこんなにデカく報道されるの?とやや驚いたものでした(もちろん、報道の意図は、まあそんなところね、ですが)。


 こんな感じで、他国、というより日米の、政権党の「不幸な出来事」には、やたら敏感、という印象です。


 これを「偏った報道」というのは簡単だし、実際「偏っている」と思うのですが、まあこれは中国だけではありません。日本も、とくに最近は、「中国の不幸」を好んで報道するようになりました。「田舎で暴動」とか「環境破壊」とか。

 「だって事実だもん」とはこれまたいえますが、まあ、「他人の不幸」が好きなことでは、似たり寄ったりなんでしょう。


 そもそも「偏った報道」というのは簡単ですが、「偏らない報道」ほど難しい、ほとんど不可能なことはありません。真の「偏らない報道」とは、「世の中のすべての出来事を、等しく報道する」ものでしかありえません。「中国の農村で起こった暴動」を日本で報道した場合、それが「偏った/偏らない」報道か、というのは、人によって見方が違うでしょう。「親中」的な人から見れば、「どうして中国のネガティブな面だけを報道するのか」となるだろうし、「反中」人士からすると、「そうだそうだ、これが中国の真の姿なのだ。今までの日本の報道は、中国に対して甘すぎた。これからはもっともっと中国の暗黒面を流すのだ、がっはっは」となる、かもしれないし。
 これを解消するには、「中国で起こっている、すべての出来事を、等しく報道する」しかありません。こうなれば、どこからも文句は(多分)出ないでしょう。ただ残念ながら、そんなことは不可能です。


 まあ僕らは、世の中のほとんどの出来事について、「報道」されたことしか知りません。胡錦トウがどうとか、ブッシュがこうとか偉そうにいえるのも、報道のおかげです。しかしその報道自体、けっこう危うい土壌の上に成り立っている、ということは、それなりに認識しておいた方がいいかもしれません。

【付記】
あ、最近、HPの方も復活してきていますので(といっても読書日記のみ)、興味のある方は覗いてみてください)