内政干渉ねえ……

 台湾の問題で、どっかの外相がしきりにちょっかい出すのに対し、中国政府は「内政干渉だ」といっています。

 いっぽう、靖国参拝に抗議する声に対し、反論としては、これまた「内政干渉」です。

 日本の論壇では、たいてい「どっちかは○で、どっちかは×」と色分けされます。前者は内政干渉だが後者は違う。あるいは逆。


 もちろん、本当にそう(どっちかは真の「内政干渉」で、どっちかはあてはまらない)なのかも知れません。

 あるいは、「良い内政干渉」と「悪い内政干渉」がある、ということなのかもしれません。


 ただねえ。「内政干渉」という土俵に乗っている限りは、どっちもどっち、だと思うのですよ。


 多分、世界には、「内政干渉」などということ自体がナンセンスだ、という声もある、と思います。

 僕は、そっちを支持します。


 あ、可能性としては、「両方内政干渉だ」と言う意見もあってしかるべきですよね。

 でも、そういう声って、なぜか少ないような。


【追加】
このまえ、例の映画パンフ事件の時、「作品を、どう読むかは、個人の自由だ」と書きました。

もっといえば、「なにをどう考えるかは、個人の自由だ」「そしてそれをどう表現するかは、個人の自由だ」と考えるのが、わりと日本では一般的だと思います。いうまでもなく、「○○氏を殺そうと“思う”」とか「××氏を、その属性によって、差別しようと“思う”」のは自由、と(まあ、こういう「思い」を何らかの形で「表現」してしまうとなると、ちょっと事情は違ってくるでしょうが)。
なので、先日デンマークその他で起こった風刺画騒動。これも、日本では、どっちかといえば、「表現の自由派」が、多数派だったんじゃないか、と思います。

でも、西洋って、そうじゃないのかも。

これをふと感じたのは、いわゆるポルノビデオです。日本では、「強姦モノ」は、全然珍しくありません。フィルムの最後に「これはフィクションです。実際の強姦は犯罪です」みたいなテロップが必ず流れますが、しかしジャンルとしてはごくごく普通です。
いっぽう、いわゆる「洋ピン」には、少なくとも一般に流通しているものについては、基本的にこのジャンルはありません。禁止されているんでしょう、たぶん(ウラではいくらでもあるのでしょうが、でも「原則禁止」の意味は大きいと思います)。

この差、なんじゃないかと思います。日本では、「本当に強姦する」のでなければ、それを(ビデオを見つつ)想像したりそれによって興奮するのは、今のところは悪いことだとは思われていない。いっぽう西洋では、そういう想像自体が悪いこととされる。

「汝姦淫するなかれ」は、周知のように、実際に姦淫するかどうかのみならず、姦淫「しようとすること」、どころか、姦淫を「想像(空想)すること」をも禁じたものです。「情欲を抱いて女を見る者は、すでに姦淫の罪を犯しているのだ」というわけ。そう考えること自体が悪。方や日本は、「まあいいじゃん考えたり書いたりするぐらいは。本当にやっているわけではないし」で許される面がある(今のところは、「強姦モノ」の撮影自体が禁止される、ということはなさそうです)。


 どっちが良いか、はもちろんわかりません。が、少なくとも僕自身は、こんな日本に住んでいて良かった、と思ったりします。どう思うかまで決められたくねーよ、と。
 

 いや、べつに、強姦モノが大好き!!というわけではないんですが。


 おっ、これも広義の「内政干渉」?