ひっそり

 この時期の大学は、見事にひっそりとしております。

 学生はもちろん、教員も、とくに午前中はほとんど来ていない。僕は、本は自宅にはほとんど置かず研究室に置いているので、伸び伸びとお勉強ができます。

 ……のはずなのですが、どうもこう……


 こないだの「歴史教育」のお話ですが、これはもちろん、日本だけでなく、中国にも当てはまります。

 というのは、例えば中国で「反日教育」が行われているとしても(これも、ちょい疑問符付きだと、個人的には思うのですが)、だからといって中国の若者が、反日一色に染まる、というわけではないということ。

 たぶん、向こうの若者にとっても、「ご先祖様の日本への抵抗の歴史を忘れるな!そして昔日の中華帝国を復活させよう!!」みたいな教育は、ウゼーもんなんだと思いますよ。


最近、うちの大学でも、「生き残りをかけて……」みたいな言い回しをよく聞くようになりました。

 これってどうもねー。正直、僕にはムリっすわ、こういう発想。

 なんかこれまでの話とシンクロするのですが、学校の目的というのは、究極の究極は、道徳教育なんじゃないか、と思うのですよ。仮にお題目だけだとしても。つまり、たんに知識を身につけるだけでなく、というか知識を身につけることが、人間的に向上することである、みたいな。

 一方で、「生き残り」というのは、こっちは競争原理。うちが生き残るとしたら、生き残れない、淘汰される大学も当然出てくるわけです。

 こういう弱肉強食論理と、道徳って、両立するんでしょうか。ちょっと難しいんじゃないでしょうか。

 いや、競争を全否定する気はないんですけどね。でも、スーパーや家電量販店ならともかく(あ、こういう業界を貶めているつもりはまったくないです)、モノが教育だと、そう簡単に「へいらっしゃいらっしゃい、ウチのは安いよモノもいいよ」と客寄せするようなものでもないように思うんですけどね。

 ま、こういうふうに考える大学は、真っ先に淘汰されちゃうんでしょう、きっと。