他人の庭

 日曜日は各新聞の書評の日。この日は朝読毎とも買うようにしております(お金に余裕があれば産経日経も。今日は朝読毎のみ)。

 年末ということもあって朝読は各評者の「年間ベスト3」でした。改めて見ると、今年も「日本のナショナリズム起源」本が結構出ていることに気づきました。

 このテーマは、まあわりと手軽だし、歴史屋だけでなく文学屋でもそこそこ取り組めるものであるため、根強い人気を保っています。

 で、ふと思ったのが、「こういうテーマを、外国でやったらどうなるか?」ということでした。ひと言でいえば、「余計なお世話」になるのか、と。

 アメリカだったら、「ピルグリム・ファーザー」とかがらみで日本でもそれなりに研究がありますが、ヨーロッパものは、ほとんどが当地の研究書の翻訳です。そしてアジア、とくに中韓になると、それはほとんどありません。国の成り立ちからいっても、日本や欧米と同じくらいにはこういう「神話」がありそうなのに(事実あるのは間違いありません)、やっぱり遠慮、とくに「日本人がそういうことを探る」ことに対する遠慮があってか、みな遠巻きに見ている状況です。

 実際には、ないことはありません。近年出続けている(そして売れ続けている)「反中韓本」だったら、いくらでもやられていますが、そういう本だとどうしても「主張」の方にメインがおかれているため、実証になると「世間知」レベルのものがほとんど。

 まあこういうテーマは、研究者がいくら「そういう意図はない」と言い訳しても、どうしてもナショナリズムに対して批判的なものになる(またはそう捉えられる)運命にあります。「そんなの神話だ/神話に過ぎない」とやるわけですからね。

 僕の研究テーマが、大きく括ればそれに当たるものですけど。ここだけの話、遠慮しいしいやってます。


 こんな記事が。

朝日が見間違えているのは、現在民主党を支持する層が、自民党支持層よりも「左」であるとしても、現在の日本の左派は、決して中国に甘い態度を取っているわけではないという点だ。
 むしろ左派、リベラル派が重視する人権、環境、平和・反戦、少数派擁護という観点から見れば、中国こそがアジアの中で最も問題が大きい国家であることは明白であって、まともな左派であれば中国に批判的になるものだ。むしろ中国に媚態を使っているのは、ODA利権のある自民党田中派系の腐敗政治家や、中国の実態を知らずに旧態依然とした「社会主義」幻想で中国を見ている旧左翼だけである。朝日新聞はいまだに前者を批判せず、後者に立脚している感があるが、そういうのは左派とはいえない。単なる時代錯誤である。
http://blog.goo.ne.jp/mujinatw/e/4e80403fee04399d808fd4889863f78c

そうそう、まさにこういうことなんですよね。朝日に代表される「日本の左派・リベラル派」の問題は、それが左であることとか反日であること、なんかではなくて、それが真のリベラルですらないこと、「親中」でもないこと、たんなる「親−中国共産党政権」にすぎないことです。

 もしかしたら、「そういうのは、他国のことだから、日本(人)が口を出すことじゃない」というかもしれませんが、そういう「他人の庭」理論はそれこそ、「国境など越えて、普遍的な人権や平和を希求する」リベラル思想に反するものです。