公平

 今年から、センター試験にリスニングが導入され、それは学生一人一人にその場でIC機器を渡すことでおこなわれます(ココ)。
 教室全体に響き渡らせるスピーカーだと、席によって聞こえる聞こえないが発生するので、不公平になるんだそうで。

 また、これは全国一律ではないでしょうが、高知大学会場では、これまた席によって暑い寒いが発生すると不公平になるので、暖房無しで行われます。高知とはいえ、1月の寒さは、キツイ。

 個人的な見解としては、公平もここまで来ると病的、という気がしますね。そもそもすべての受験生に公平を行き渡らせるなんて、不可能。だったら「オレは勉強にはなんの関心もない両親から育ったから、不利だ」とか、「うちの英語の先生は満足な発音もできないダメ教師だったから、不利だ」とか、いくらでも不満は出てきます。
 もちろん、「完全な平等は無理」というのと、「それでもできる限りの公平を期す」というのは、決して両立しないわけではないですが(むしろ、「どうせ完全な平等なんて無理なんだから、そんな努力やめた方がいい」というほうが危険です)、ただそれでもなあ、という感が。

 そもそも、今回の受験生は55万人だそうで、その一人一人に配るIC機器代だけで、莫大な金額になるでしょう。「その利権はどこに……」という突っ込みもできるでしょうが、それよりなにより、所詮はたんなる通過点でしかない「試験」に、そんなに莫大な金額と手間をかけるというのは、どうも歪んでいるような気がしてならない。その金で英語教師を増員するとか、そのほうが「英語力強化」のためにはよっぽどいいと思うのですが。

 公的な「教育」にはまったく金をかけず、「試験」にだけ異様な金と執念をかけたといえば、ご存じお隣中国の科挙です。科挙のすべてが悪かった、いいところがなにもないシステムだったとはいえないでしょうが、しかし形式面でも、内容面でも、あまりにも現実離れした、弊害があまりにも多いシステムだった、というのは間違いないでしょう。

 「センター試験現代日本科挙」とかことさら言い立てるつもりもないですが、しかし近年の中国や韓国・香港などの騒ぎを見ていると、やっぱり東アジアって、そういう血が流れているのかも、とか思っちゃうのでした。