いよいよ

 後期も始まりました。うちの大学の外国語は、一人の教師が、一つのクラスを週2回教えるというシステムなので、教師的にはラクチンです。学生は、イヤな教師に当たったら災難でしょうが、ただ、とくに後期は、学生が教師を選べるので、まあそれなりの選択肢は与えられていると言えます。

 で、昨日は1回目の授業でしたが、直感的に、「あ、教えやすいクラスだな」と感じました。
 これは、別に学生に阿っているわけでもなんでもなく。


 人によってさまざまでしょうが、僕は、クラスにある種の「ガヤガヤ感」があったほうがやりやすいです。以前、人数の割にはシーンとしたクラスを教えたことがあって、最初は静かでやりやすいと思っていたものの、こちらが何を言っても見せても「シーン」なので、なんだかやる気がなくなってきました。別に寝ているとかでもなかったんですけどね。

 それに対し、多少騒がしくても、こっちがなんか言ったり失敗した時に笑ってくれるようなクラスだと、こっちもウキウキしてしまうわけです。


 これまた人によるんでしょうが、僕は、人前でしゃべったりする時に、「反応がない」とか「誰も聞いていない」とかいうのが本当に耐えられないんですね。我が儘ながら。例えば、結婚式のスピーチ。最初ならともかく、宴もたけなわになってから、「では友人代表のスピーチです」とかいわれて前に出てしゃべっても、もう誰も聞いていない場合が多いです。そんなのでも一生懸命、というか周りの反応などまったく気にせず自分の仕事として淡々とスピーチをしている人もいますが、あれは僕には信じられません。まあさすがに「お前ら、オレの話を聞け!!!」と怒鳴ったりはできませんが、だったらもうとっとと適当に終わらせて自分の席に戻って飯食った方がましです。


 授業も同じ。学生が寝てようが聞いて無かろうが淡々と授業できる人は、ある意味で羨ましい。僕は、そういう時は(たぶん)すぐ表情に出てしまいます。授業も投げやりになると思います。威張れることではないかもしれませんが。


 だもんで、今年のクラスはちょっと楽しみ。万が一学生諸君がこれを見ていたら、ちょっとアドバイス。教師を乗せた方が、いろんな意味で得だと思いますよ。もちろん、「なんで教師ゴトキに媚びを売らなきゃならないんだ」という方は、止めはしませんが。


 ところで話はまったく変わりますが、最近朝日新聞が大変ですねえ。エラい先生が「朝日の講読はもうやめた!」宣言をして話題になったりして。
 僕のうちも、この先生と同じく、生まれた時からずっと朝日を読んできました。一人暮らしをしてからはいろいろ取っ替え引っ替え読んできましたが、それでも、売店やコンビニで新聞を買う時には朝日と決めておりました。
 で、これまたこの先生と同じく、ここのところ、朝日を読んでいると、ものすご〜く不愉快な気分になるようになってきたんですね。

 その腹の立つ所以は、まさに、「自分たちの意見が正しい、それをお前ら庶民にも教え込んでやる」的な傲慢さでしょう。ネットが発達し情報が氾濫している今、「正しい意見」などというのはもうほとんど存立不可能です。それがあるとすれば、「“誰にとって”正しい意見なのか」という文脈以外ではムリです。

 「右だから」「左だから」という思考停止は大嫌いですが、それでも朝日が左なのは誰も文句の付けようがないでしょう。それはまあいいです。でも、それをさも「絶対的な真理」のように持ち出してこれが信じられないのは民衆がバカだからだ、的な物言いをされては、実はそうバカでもない民衆から反感を買うのも無理はありません。


 そもそも、誰かのブログにも書いてありましたが、新聞社やテレビなどのマスコミは、勝手に「民衆の代表」面して取材したり報道したりしていますが、別にオレら、マスコミを代表として選んだことなど一度もありません。あれはあくまで私営企業、儲けのために活動しているのであって、我々はあくまで、金を出して情報なりなんなりを買っているわけです(テレビはちょっと違うかもしれませんが)。それをなんだか、木鐸だか公器だか知りませんが、まるでそういう権利を誰かから与えられたかのように勝手に正義面され、「民衆を啓蒙しなくては」などという勝手な使命感を燃やされるのはまったく不可解・迷惑です。ならまだ、議員さんの方が、真の意味で「民衆の代表」です。


 まあ、朝日・NHK・岩波(ここだけはそうでもないかもしれませんが)の「三バカ」が期を同じくして凋落し始めているのは時代の趨勢なんでしょうか。ああ、こんなに長々書いたら疲れちゃった。