年寄り笑うな行く路なのに

この前には「子供叱るな来た路なのに」というのが入るのですがそれはそれとして。

ふだん小説をほとんど読まないのですが、芥川賞ぐらいは、ということで、だいたいいつも読んでいます。

今回も。両方ともふつうに面白かったです。

好みとしては又吉氏の方が好きですが、もう一つの羽田氏のもなかなか面白かったです。

これ、いわゆる介護小説です。介護あるある。私もまさにこの立場にいる者として、頷けるところも多い。

で、この小説で興味深かったのは、ラスト。就職が決まった主人公が祖父と別れるなかなか感動的な場面で終わる、かと思いきや、そこから主人公の「今後生きていく上での決意」が2頁ほど語られるんですね。

取って付けたようなというか、あれ、これは介護小説じゃなかったんか?というか、そんな違和感。

まあそりゃ、20代の若者にとって、80過ぎた年寄りのことなんて、どうでもいいっちゃどうでもいいですしね。自分の将来の方がずっとずっと大事だし、それでいいと思うし。むしろそのことを象徴的に表すラストでありました。


この小説でも介護を受ける祖父が同居する実の娘と、その孫である主人公に、あしざまに罵られるシーンが頻発します。

読んでいて、気分のいいものではない。

でも実際の介護の場面でも、よくありますよね。小説中、「介護においては他人よりも肉親の方が、遠慮がなくて言いたい放題・やりたい放題になる」とありますがまさにそう。私の肉親も、まあそんな感じでした。


別にわたし自身が良い人間というわけではまったくないのですが、何かなあ、と思うんですよね。
年寄りって、まさに「自分もこれから行く路」じゃないですか。何十年かあとには必ずこうなる。それを考えると、目の前の年寄りを怒鳴ったり罵ったりするの、いいことかなあ、と。


もちろんもちろん、いろんな言い訳はあるでしょう。「だって小憎らしい口をきくんだもん」「むしろ介護してるこっちが罵られる」というのもあれば、「別に目の前の老人をかいがいしく介護したところで、自分もかいがいしく介護を受けられる保証なんてないし」というのもあれば。「今必死に生きている自分の方がよっぽど大事」「自分の老後は諦めてる」みたいな人もいるでしょう。


ただ私は結構単純に「自分がやった分は、あとでなんかの形で返ってくる」と信じている方なので、父に対しても、結構マジメに「将来の自分」と思って世話してる面があります。

そうでも思わないとやってられん、というのもあるかもしれません。まあそれはそれ。