記者こそすべて

中国屋をやっていて思いますが。

いわゆる研究者よりも、記者の方が、存在感を増していますよね。

以前は、研究者の役割というか重要性、もっと上だったと思うのですよ。おそらく、記者もそうそう簡単に取材できなかった。人民日報ぐらいしかソースはない。情報が圧倒的に限られている。なので、それを「解釈」する人の需要が、高かった。

しかし。中国に対する「解釈」、大まかなところでは、ほぼ出そろった感がある。「これはこういう理由でこうなっているのだ」というのは、まあ、だいたい分かってきた。逆に今は、自分の度胸や人脈次第で、いくらでも、面白いニュースを手に入れられる。ついでに、解釈までやってくれる。研究者の出番無し。みたいな。

いや、ツイッターなんかでそういう記者的な方の記事を読んでいると、「オレのやること、ねーなこりゃ」といつも思うです。授業でも使わせてもらう一方。で、学生も、昔ながらの文学史よりも、「中国面白ネタ」のほうが、よっぽど食い付きがいいし。