苦手な分野

日中同数ぐらいの学生のゼミ、いろいろな発見があります。

中国人学生が苦手なのは、「自分で自由に考える」ということ、でしょうか。


このゼミ、文学作品を読んで、自分で好きなように料理する、というもの。

「作家の生い立ち」とか「時代背景」とかは二の次で、「これを読んで、自分はこう思う」を一番に持ってこい。「今の自分の目でこの作品を読む」ことが重要。すると、名作といわれる作品でも「この主人公、ひどくね?」「この話、おかしくね?」ってこと、あるだろ?そういうのを大事に。

日本人学生はむしろこういうの、喜々としてやるわけです。もちろん何じゃそりゃというのもありますが、中にはオレには考えつかないような意見を出してくるのもいる。
そもそも、オレがこういう形式で授業をやるのも、オレ自身がその方が面白いからです。時代背景とか中途半端に調べたのを聞かされても、さっぱり面白くない。それよりは、発表者が一個人として、この作品に何を思うのか、というのを聞く方が、よっぽど興味深い。へえ、この学生、優しい顔してけっこう冷酷なのね、みたいに。

が、一方中国人学生は、意味がよく分からないみたいなんですね。どうしても、作家や作品の公式見解を気にして、調べようとする。こっちはむしろ、そういう風にならないように、わざと無名作家の作品にしたりしているのですが、すると「ネットに全然載っていません」と苦情を言いに来るわけです(ちなみにネットで調べるのは禁止していません)。

「いやいや、ネットの公式見解じゃなく、「自分が何を思うか」を発表してほしいんだよ。あなた自身がこの作品を読んで何を感じたのか、それが聞きたいんだ。日本語が下手とかそういうのは全然気にしなくていいから、ぜひ好きなように発表して」といっても、その意味が分からない様子。別に「中国共産党はひどいです。私は日本に来てそれを知りました。」という言葉を期待しているわけじゃなく、あなたが一個人として、ある作品に対して何を感じるのか、これを純粋に聞きたいのに、それがなかなか伝わらない。


結局、これが中国式教育の欠点、なんでしょうね。いや欠点かどうかはわからないか。その方が良いか悪いか、結果がいつ出るのか、どうやって判断するのか、それもわからない。まあでも、相当気になる点ではあります。日本留学中、少しでもそういう考えを持ってほしい、とは思うものの、持った方がいいのかどうかも、究極的には分かりません。


というわけで、来年からは、「ネットや書籍からの引用禁止」で一度やってみようかな。徹底的にアイデア勝負。なんかワクワクしてきました。