学校の包括化

うちの生協食堂では、「最初に何万円払えば、一日1500円まで利用可能」みたいなプリペイド方式のカードを作っています。もちろんだいぶお得。これ、顧客の囲い込みですよね。朝昼晩すべてを生協で食べてもらおうという。マーケティング的には正しいやり方なんでしょう。

ただオレ自身は、縛られるのがイヤなので、使っていません。


さて、最近、大学が仕事として手がける範囲、ものすごく大きくなっていますよね。

つまり、オレが学生の頃であれば、大学は勉強する場であって、役割はそこに限定されていたわけです。何かイベントやりたきゃ自分たちで勝手にやったし、就職だってほとんど自分でやってた。

ところが今は、何かイベントやりたければ大学がかなりの程度お膳立てしてくれて、費用まで出してくれたりする。就職も、さすがに「ここで働きなさい」とはなっていないですが、そのサービスはかなりの程度行き届いています。授業も相当多様化しています。田舎に行くとか、外国に行くとか、街に出るとか、体験型が目白押し。


もちろん、これを良いことということもできるし、実際良いことだとはある程度までは思います。

ただ、学校の「内と外」という面では、どうなんだろうなあ、と思わないこともないです。

しょせん学校は学校。社会の一部でしかありません。なので何でもかんでも抱え込もうとしないで、「学校はここまで。あとは各自でお好きなように」のほうが、いいんじゃないかなあ、と思うこともしばしば。

前述のプリペイドみたいに、「すべてを包括してサービスしてくれる」というのは、外部の存在を塗りつぶしてしまう可能性もあるのでは、と。


もちろん、いろんなイベントやるヤツらは、最初は大学のお膳立てでも、そのうち外部に飛び出すヤツも多いので、その辺は杞憂かもしれません。ただ、ちょっと気になるところではあります。