企業の論理

オレ、今までいわゆる「社会」に出たことないし、しかもやっているのが文学なので、余計に娑婆の論理には疎いので思うのかも知れませんが。

ふだん蚊取りマット(でいいんですかね、一般名詞は)を使っていて思うのですが、こういう企業にとっての「製品開発」って、どういう意味を持つんだろうな、と。

つまり、蚊取りマットの効果の違いなんて、使っていて全然わからんわけですよ。A社のよりB社のがいいとか、去年より今年のがいいとか、そんなの全然わからん。実験するわけにもいきませんしね(まあ、2社のを比べる、というのもできなくはないですが、普通の人はそこまでの元気はないでしょうし。オレも)。あくまでも、何となくの印象。

これでパソコンだったらいろんなスペックによって数値化されることで比較や技術発展も可視化できますますが、蚊取りマットはなあ。「1分間で何匹蚊を落とせます」とか、なんかいまいちだしなあ。

で、そういう製品において、製品開発のモチベーションって、どう保つんだろうな、と。

どうせ消費者には分からないんだから、中身なんて適当でいいやとか、去年のより/他社のより断然良いです、とかいっとけばいいじゃんとか。

怠け者のオレだったら、そういう不埒なこと考えてしまいそうで。

しかし、そういう目に見えないところでも気を抜かずにコツコツと製品開発を続けるのが「良い企業」というものなのか、それとも、実はその通り、とかなのか。

今度いつか蚊取りマットメーカーの人に会ったら、こっそり聞いてみよう。


……というのも、今使っているA社のもの、どうも効きが今ひとつ、な気がして。ああ痒い。


【追】
こんなこと考えるのも、昨日たまたまある日本在住の中国人としゃべったからですかね。彼らと話すとよく、「日本人はなんであんなにくそ真面目に・なんの得にもならんのに働くのか」「どうして「楽して儲けよう」みたいな発想にならないのか」という話になるですよ。まあたしかに、良くも悪くも、日本人、そうですよねえ。「社会の成熟度」なんかじゃないんですよね、たぶん。日本と中国、どっちが「世界標準」なのか、もわかりませんし。