創られた伝統

この前ワンゲル部と一緒に行って思いましたが、まあこの手の部活には、「伝統」が山ほどあるなあ、と。

登る前に何をするとか掛け声とか山頂に着いたら何するとか食べるときには一緒に歌を歌うとか、後輩はどうするとか先輩はどうするとか、あれやこれや。


オレ自身も高校までは体育会にいたのですが、新しい高校だったのであんまり厳しくはなかったかな。それでも、この手の伝統、あるいは上下関係みたいなのがイヤでイヤでしょうがなかったものでした。結局高3までやめなかったのはほとんど意地です。よかったことといえば、比較的早くお酒(ry


まあしかしすごい飛躍で思いますが、伝統というのは、結局外から見ればバカバカしいものなんだよな、と。所詮はある時点で恣意的に生み出されたものに過ぎません。根拠なんてないんですよ。ってか「伝統の根拠」ってなんだ?

でもだからといってこういう伝統をくだらないとかやめちまえとかいうのもちょっと違うよな、と。


まあワンゲルの伝統がどうだからって誰も困るわけではないですが、これが国家単位とかなってくると、ちょっとは違ってくるんですかね。でも違わないよな究極的には。結局は、「だから伝統なんてくだらない」と、「だから伝統にも効用がある」との間を、揺れ動くしかないわけですか。