上部と下部

こちらを読んで。

http://d.hatena.ne.jp/t-kawase/20091008/p2

オレ自身が自分の専門に対し何となく抱いていた違和感(というほどではないですが)のタネが、ようやく分かりました。そうかオレ、逆に下部構造にしか興味が持てないんです(なのでt-kawaseさんと逆に、「人物本位の伝記的歴史記述」にはほとんど興味が持てません)。「で、結局それはなんのためなん?」というのを突き詰めるのが好き。で、その答えは往々にして「やっぱ究極的にはカネのためでしょ?」に行き着きます。

べつにかまわんのですよそれで。悪いわけじゃない。むしろ、たとえばある人が「良い行い」をしたとして、「それは結局経済的インセンティブによるものである」というのが悪口になってしまうようだとイヤだなあ、とか思うわけです。

ところが文学研究って、やっぱり上部構造が好きな人が多いんですね。特に年輩の先生。「魯迅は抵抗の作家である」とかって。「その抵抗とは自分のイメージを高めて経済的報酬に結びつけようとした本人やその周辺の戦略である」なんて論じたりしたら村八分に遭いそうな雰囲気です。

なのでコソーリここでつぶやくだけにします。ま、オレの研究もどきだって、所詮はカネ(とあとはちょっとの好奇心)のためだし。


でも文学的指導を期待して来た学生さんは気の毒かなあ。「魯迅はここでこんな良いこと書いていますが、それはこの時お金が必要でね」とか、聞きたくないかもしれませんね。