書くことの動機付け

こちらを読んで。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090224/1235463079


「最近の学生は文章を書けなくなっている」というのは何となくそうだなあとは思うものの、もちろん僕も昔の学生を知っているわけではないし、また昔だってみんなスラスラ文章かけたわけじゃないだろうし、とも思います。
こはちょっと違った視点から。


近年(昔からかもしれませんが)教育で、「自分の意見をはっきり・しっかり言う」ことの重要性が強調されるようになってきています。しかもそれが、「書く」よりも「話す」方を優先して、行われるようになってきています。つまりは、プレゼン能力。

実際、今の学生を見ていると、書く能力とバーターなのかもしれませんが、オレらの時代とは比べものにならないくらい、このプレゼン能力は向上しています。というかオレらの時って、プレゼン能力なんて指標はこれっぽっちもありませんでした。何かを調べて、発表するとき、それはほとんどの場合「書いて」発表したのです。読書感想文が典型。ある本を読んで何をどう考えたか、が評価されるとき、それはつねに「書いたもの」を基に、評価されたのです。

しかし今は、極端な話、中身よりも、プレゼン力の方が、重視される。図やグラフを使って、分かりやすく発表することが要求される。実際、「なんか調べて、発表して」というと、多くの学生が苦もなくパワポを使いこなして楽々発表している(内容は、ともかく)。けっこう驚異的です。


まあこれは当たり前といえば当たり前で、「自分の意見をはっきり・しっかり言う」場合、「話す」と「書く」では前者がよりストレートに「自分の意見」を伝えられる、ように思われる。そりゃ世の中は筆談で意思の伝達が行われることのほうが少ないわけで(メールとかはありますが)、だったら書く能力より話す能力が重視されるのも、宜なるかな、ではあります。


もちろんこういう傾向を批判するのは容易ですが、ただ、一度社会に出ると(この言葉はあんまり好きではないですが)、モノを書く機会って、実はそんなに無い気もするのです。オレみたいな商売していると日常的に書いて書いて書きまくっており、そしてその文章で評価されるわけですが、一般の企業に勤めた場合、自分の意見を自由に書く機会って、どのくらいあるでしょう。まあ報告書とか企画書の類はあるでしょうが、それもどちらかというとプレゼンの守備範囲ですよね。まとまった文章って、始末書ぐらい? いや、この辺は、オレ娑婆に出たことないからわかりませんが。


もちろん、「社会で使わないなら、学ばなくてもいい」かどうかは議論が必要なところですが、しかし、「話す」のと「書く」のとでは、そもそもその間には越えられない壁があるのは間違いありません。そして、その(世間一般においての)重要性が徐々に「書く」から「話す」へ移ってきているのも、これまた間違いないところです。とすると、そもそも書く能力を鍛えることに、どんな意味があるのか、上手い文章を書くことで、先生に褒められる以外に、どんな良いことがあるんだろうか、という点をしっかり考えておかないと、たんに「今の学生/子供は書けない」と怒ったり嘆いたりしたところで、あんまり意味ないかもな、と思ったりするのでした。