しかし例の派遣村ではもうオレがいうことなど何もないのですが、いわゆる右寄り・保守とされる方々が派遣村に批判的なのは、全くもって理解不能ですね。

彼らに援助をしつつ、「彼らの仕事を奪っているのは外国人労働者だ!」という方向で外国人排斥を訴えるとかなら、もちろん賛同は全くしませんが、主張の方向性として理解はします。実際、世界中で保守といえばこの方向ですしね。

しかし「自己責任」とか「ごく一部」とか「所詮政治運動」とかいってあそこに集う人々を批判する論理は、いったいどこからもたらされて、誰に届けるつもりなんでしょう。彼ら保守の主張の当否以前に、その方向性が全く見えない。単純に、「自己責任」と「保守」の繋がりが見えない。もしすべてが自己責任であるなら、国家なんてどーでもいい、中国人だろうがアメリカ人であろうが、強い者が勝つ、という論理で何の問題もないはず。しかし、現実には、「派遣村批判」を繰り広げている人に限って、「中国の脅威」とか「愛国心が必要」みたいなことを主張していたりする。謎です。


新自由主義的社会を自力で渡っていける(と信じている)人たちによる、美しい国の建設」とかを企んでいるんでしょうか。まあ企むのは勝手ですが、オレらを巻き込まないでほしいと、強く願うところであります。