環境

やれやれ研究会から帰ってきました。


ふだんは「県内に自分の専門分野の専門家は自分しかいない」ところに住んでおりまして、だもんでぺーぺーなのに公開講座とか偉そうに呼ばれちゃったりというメリットもあるわけですが、刺激のない、のんべんだらりとした環境に身を置いているのもたしかです。もちろん、これは別に誰が悪いわけでもないのですが。

刺激がない一方で、自分の専門の脆弱さというのかな、そういうのを感じる/感じさせられることも多い。繰り返しますがうちは人文学部。法経文が一緒になっているところなので。

具体例(といってもちょっとデフォルメして)をいうと、教授会の昇任人事の時、推薦者が、当事者の専門をいろいろ説明して、「企業の効果的な人事システムについての研究で、画期的な成果を挙げられました。なので○○さんを教授に推薦いたします」という手順を踏みます。そして投票。

なのですが、人文系の人の業績説明の時、法経の先生方から、くすくすっと笑いが起こる時があるですよ。たとえば、何度も言いますがあくまでデフォルメですが、「唐代の詩に表れたライチの形容について画期的な……」みたいな時。

実学」をやってる人間からすると、そりゃオレたち人文系のやっていることって、ナニソレ、ソレガナンノヤクニタツノだよな、と、自虐的な気分になる瞬間です。あ、もちろん、人文系にも、堂々とそれに反発する方々もいるでしょう。むしろそっちの方が多いかな。


……なんの話でしたっけ。そうそう、普段そういう環境に身を置いていて、「オレの研究なんて、所詮はどーでもいいことなんだよな」となんかやる気をなくしている時、同じ専門の人に囲まれると、なんかホッとする。価値観を同じくする人同士、話が通じる、というか。


まあどちらの環境も、それなりにメリット・デメリットはあるでしょう。それぞれを行き来することで、自分なりの刺激を作り出していかなくては、と思ったりするのでした。