未来型?理想型?

さてさてディープ中国の重慶(とその周辺の小村)から帰ってきました。疲れた。


しかし中国というと、とくに反中系の方からは「(言論やらなにやらの)自由がない」とか「一党独裁」とか、その手の批判が聞こえてくるわけで、それはそれでもちろんウソとは言えないわけですが、しかし、とくに田舎に行くと、彼らはまあ、「自由」ですよ。少なくとも、日本に生きている僕(ら?)よりも。


最近中国の大都市、北京やら上海では、さすがにマナーが「良くなってきた」と感じられるようになり、例えば割り込みなんかも減ったし空港や駅の客引きも減ったし、道でポイ捨てする人なんかも減った気がしますが、しかし田舎では、これらはまだまだ現役です。長距離バスに乗ったら「車内での賭博厳禁」とか書いてあってなんのこっちゃと思ったら大規模な賭博が行われたり(これについてはいつか書きます)、客引きもポイ捨てもなんでもござれ。あれをするな、これをするなというルールはあっちこっちに書かれているのですが、だれもそんなもん守りゃしません。無法地帯(というと言い過ぎですが)です。


まあこの手のことは、昔から「上に政策あれば、下に対策あり」と言われたり、あと中央の政策に随わない地方政府なんて具合に取り上げられたりするわけですが、しかしじゃあ、地方は「遅れている」のか、そのうち地方も「中央化」「馴化」されるようになるのか、というと、ちょっと判断が難しかったりするわけです。


つまり、「ゴミを捨てたい時に捨て、人を騙したいときに騙す」みたいなのって、自由の理想系じゃないでしょうか。べつにいいやん人がどう思ったって。と言うか、他人のポイ捨てすることを気にするような人など、中国の田舎にはいません。好きなように、好きなことをしている。これが自由じゃなくてなんでしょう。言論の自由なんてどーでもいいやんそんなの。一部の「知識分子」のタワゴト。「アレント的自由」だなんて知らねーよそんなもん。


……という発想も、アリなんじゃないでしょうか。いや、半分は冗談ですが、半分は本気で、こういう「自由」を賞賛するのも、ありかな、と思っています。いや、だって、オレも、中国に行くと平気でポイ捨(以下自粛


ま、とはいえ、「きまり」ばかり(そして律儀にそれを守る)の日本に帰ってくると、ホッとするオレがいるのですが。やっぱオレ、近代に毒されちゃったな。