無関心

ちらほらと話題に上っているこの本。


日中戦争下の日本 (講談社選書メチエ)

日中戦争下の日本 (講談社選書メチエ)


レビューでは「国民は軍部にイヤイヤ戦争に参加させられたのではなく、むしろ積極的に参加した、ということを明らかにした」のが賞賛されたりしておりますが、それだけだったら、今までにも、数は多くはないとしても、研究はあります。むしろ近年の戦時期メディア研究は、その方面での研究が花盛り、といってもいい。


僕が興味深かったのは、戦争が始まっても、まったく無関心の国民が多かった、というところ。


僕的にヒット(という言い方が妥当かはともかく)だったのは、慰問袋のエピソード。蘆溝橋事件勃発直後こそ多くの慰問袋や恤兵献金(戦地の兵士への慰問金)が集まるものの、その後は右肩下がりで減り続け、戦線視察の談話として「今度、私の出張で、最も感じたのは、慰問袋が非常に少なくなったことで……」(p.35)という感想が漏らされたりもします。

またその慰問袋も、まるで今のお中元・お歳暮のように、デパートでみつくろって、そのまま現地へ発送、というお手軽・お義理なものになっていき(当然そこには、デパートの商戦もからむわけです)、現地から「一番目立つのは内地のデパートから発送された慰問袋で、あのボール箱の八割迄は破れてしまって不完全包装の見本みたいで……」(p.34)という不満がでるほどでした。

また1940(昭和15)年になっても、毎月一日に設定された「興亜奉公日」(戦場の苦労を偲んで質素な生活をしろという1939年9月に制定された日)には温泉地行きの列車が賑わい、「中には奉公日を無視した客と同伴の芸妓、女給等も相当あり」(p.45)という有様だった、というエピソードも触れられています。


さて、こういう「戦争に無関心な民衆」に、従来の研究はそれこそ「無関心」でした。触れられるのは積極的に「戦時イベント」に参加していく民衆像か、もしくは戦時に(精神的・肉体的に)苦しい生活を余儀なくされる民衆像か、どちらか。仮に触れられたとしても、それは間違いなく、ネガティブな方向で、です。


というのも、左右どちらにとっても、「戦争に無関心な民衆」というのは、腹立たしい、批判の対象だからです。戦争万歳派はもちろんですが、戦争に反対する側にとっても、「積極的に反対」するのではない、「単に無関心」な民衆というのは、「こういう(無知な)人々こそが、権力者にとっては恰好のカモになるのだ」(←「寝ててくれれば」的に)と、やはり批判すべき、克服すべき存在として認識されます。


しかし、おそらく、「戦争に無関心な民衆」というのは、当時のサイレント・マジョリティであったわけです。普通に考えて、政治家・官僚、あるいは大学でその手のテーマを研究しています、などという一部の好事家、そして実際に家族が戦場に行っている人々を除けば、「そんなムズカシイ話はどーでもいい」と考えても、まったく不思議ではありません。まあ、兵隊さんたちにはちょっと後ろめたいから、デパートで慰問袋でも買いましょ、的な。


そうした人々の存在を、良い/悪いの価値判断を超えて、もっと丁寧に分析する、そういう研究があってもいいかも、と思うのでした。自民シンパでも民主シンパでも共産シンパでもなく、そもそも右とか左とかどーでもいいという、そういう民衆が(おそらくは)多数であろう、現在の状況下においてはとくに。