ハードかソフトか
どこの大学も例外なくそうだと思いますが、うちも今、改革が行われております。
どういう授業をどのくらい開くか、あるいは学部・学科をどう変えるか、そんなんで連日連夜の会議です。
こういう作業に、まったく意味がないとは思いません。が……
僕はどっちかというと、ハード面より、ソフト面の改革のほうに、興味があるんですよね……
つまり、(各教員の)授業自体を、どう改善するか、という方面。
どんなに完璧なシステム(そんなものは見果てぬ夢だとは思いますが)を構築しても、肝心の授業がダメダメでは、まさに絵に描いた餅です。
逆にいうと、少々危ういシステムでも、授業がそれなりにしっかりしていれば、効果は上がります、きっと。
ただ、ソフト面の改善は、あんまり人気がありません。大学の先生の場合、「無免許」がほとんどであるにもかかわらず、自分の授業を「聖域」みたいに考えている方が多い、ように思う。授業の相互参観なんかも、まことに関心が薄い。
というのも、大学、とくに「良い大学」では、著名な研究者、つまり「大先生」が多い。
そういう「大先生」の授業は、(偏見かもしれませんが)しばしば「自分の博識を思うがままに披露する」的な授業だったりします。
受ける学生も頭のいい人が多いわけですから、普通の人には理解不能であっても、そこから何かを感じ取れちゃったりする。
というか、「感じ取るのが、学生の義務だ」などと思っちゃったりする。
「授業が分からないのは、学生が悪い」というわけですね(もちろん、これに一部の理もない、というわけではないのでしょうが)。
で、そういう授業の薫陶を受けた学生が今度は教員として教壇に立ったりすると……
というスパイラルなんじゃないか、と勝手に思っています。
やっぱ大事なのは中身ですよ、中身。