人生いろいろ、反抗もいろいろ

ちょっと前の朝日に載った「尾崎に惹かれない最近の若者たち」の記事。なんか違うんだよなあ、とつらつら考え続けて、やっぱ彼らは彼らなりに反抗してるじゃん、という結論に達しました。つまり、「無関心」という反抗です。


たぶん、進歩的な方々は「なぜ、今の若者は、国家に対し、権力に対し、反抗しないんだ」とお怒りなのでしょうが、今の若者は、「政治やらなにやら、そんなむずかしー話なんてシラネーヨ」という仕方で、反抗している。これは間違いない。


授業しててもそう思います。先日「この教師つまんねー」という反応があってヘコんだ、という話を書きましたが、まあ、何らかの形で反応があれば、まだいい。一番参るのは、無反応です。何をどう話そうが、なーんも聞いていない(ように見える)。これが一番堪える。極端な話、ガヤガヤ騒いでいる方がまだいい、かもしれません(まあこれは、「ウンコ味のカレーかカレー味のウンコか」という究極の選択ではありますが)。


これってつまり、「アンタの話なんて、オレにとってはこれっぽっちも意味ないんだよ」という、究極の反抗なのです。まがりなりにも話を聞いてその上で「いやあんたの考えは違う」「それは大人の理屈だ」「先生あなたはか弱き大人の(以下略」とかなんとか口答えしたり暴れたりするのが(進歩的な方々にとっての)「望ましい反抗」であるとすれば、最初から入り口を閉ざして「(∩゜д゜)アーアー聞こえなーい」をやるのは、そういう「望ましい反抗」という審級そのものを無価値にし、コケにするような、「今風」の反抗なんじゃないでしょうか。


もちろん、そうやって「寝ててくれれば」、それこそ権力者の思う壺ではあるのですが、まあしかし、大人としては、この問題を「最近の若者は……」論に落とし込んでしまうのではなく、また違った形で分析・評価することが必要なのかもしれません。