単純な文化

今は「中国文学概論」の準備。「中国には神話が少なく……」とか講じております。

僕の出自を知っている人が聞いたら「えっあのseanが文学史を講じてるだって??あっはっはちゃんちゃらおかしいや」と大笑いするかもしれませんが、そして僕も我ながら「ようやるなあ」とは思いますが、まあ、うちには、残念ながらこの専門は僕しかいないもので。


さて、文化というものは、ふつう、「単純なものから、複雑なものへ」移行していくものだと思われております。僕もそう思っております。おりました。

たとえば、原始人(←なにやら貧困な語彙ですが、まあとりあえず)はたぶん裸で斧持って暴れていたんでしょう。腹が減ったら狩りをして、本能のままに子供を作り、死んでいく。彼らには試験もなんにもない。「靖国問題」なんて知らない(なにいってんだオレは?)。


しかし、こと中国になると、これってなかなか複雑な様相を呈してきます。


古代中国では、少なくとも上流階級は、「礼」によりその生活ががんじがらめにされておりました。親が死んだら三年だか喪に服すとか、結婚の時はどうちゃらこうちゃらとか。「男女席を同じくすべからず」とかもそう。

しかし今では、いうまでもなく、断然「自由」になってきております。


古代において、だれが、なんのために、こんな複雑な礼のシステムを考案したのか、長い期間かかって、なのか突発的なのか、という疑問もさることながら、文化の「単純」→「複雑」という図式も、必ずしもすべてに当てはまるものじゃない、というのを、なんとなく感じたもので。