「で、とりあえずどうしてほしいの」

ちょっと前のエントリですが。そして元々のエントリとはさほど関係はないのですが。

http://d.hatena.ne.jp/dojin/20060904

の、とくにコメント欄。こういった問題については完全に門外漢なので興味深く見ていただけですが、コメント欄の、山形氏のコメント。「で、とりあえずどうしてほしいの」。ここでの山形氏のこのセリフが妥当かどうかは措いておいて、これって、さまざまな問題において、「捨てぜりふ」的・「逆ギレ」的に使われることが多い(あるいは「捨てぜりふ」「逆ギレ」だとみなされることが多い)ように思います。つまり、なんとなく、イヤな言葉です。


例えば、戦争責任、あるいは慰安婦問題などでの中国側・韓国側からのさまざまな言動に対し、日本側が、「で、とりあえずどうしてほしいの」というセリフを吐いたとする。このセリフの裏には、「どうせカネが欲しいんだろ?」という「揶揄」が暗示されている(と見えてしまう)場合が多い。そしてさらにその裏には、「まったく、浅ましいヤツらだ」「カネが欲しいなら欲しいって言えよ」というさらなる「揶揄」が込められている(と見えてしまう)場合が多いわけです。


こういった反応には、「いや、欲しいのはお金じゃない、人間としての尊厳なんだ」などと反論することが、(中韓側・中韓に親和的な日本人問わず)一般的であるように思うし、それはそれで有効・妥当な反論であるとも思うのですが、ただ、この場合、「カネが欲しいなどということは言っていない・問題はカネじゃない」→「カネが欲しいというのは浅ましいことだ」というのが、反論する側にも、実は暗に含意されている(場合が多い)。これが新たな問題を生むんじゃないでしょうか。


つまり、
「で、とりあえずどうしてほしいの」
「とりあえずカネが欲しい」
こういうやりとりが「浅ましい」ものに見えてしまう、あるいは「浅ましい」ものだとみなしてしまう、こうしたメカニズムが、実はカネが欲しい(そしてそれ自体は不当な要求ではない)「当事者」たちを追い込んでしまうのではないか。


僕は戦争被害者でも慰安婦でもありませんでしたし、今のところは障害者でもありません。ただ、将来障害者になる可能性はもちろんあります。その時、自分が何を要求するのか、今の時点で想像するのは難しい。ただ、その時に、「とにかくカネをください」という要求が、浅ましいものとも卑しいものとも思われない、そういう状況であってほしいなあ、とは思っています。