左派的愛国心

ヨーロッパの事情を分析したこの本ISBN:4334033652、あるいはid:kechackさんとかid:good2ndさんなんかも書いておられるように、「左翼は、別に日本嫌いじゃない」、どころか、「左翼は、本来愛国者であるはずである」、などともいえるわけです。


とはいえ、「そうかじゃあオレも日本好きにならなきゃな」、とすかさず方向転換できるはずもなく(含私自身)。


もちろん、「日本が好きといったって、“自称愛国者”の安部ちゃんに1票入れなきゃならない義理はない」とか「“日本好き”だからって“日本政府好き”にならなきゃならないわけではない」とか、はては「日本好きだからって、「君が代」や「日の丸」に敬意を表さねばならないわけではない」とか、そういう「当たり前」(ですよね?)のことはひとまず措きます。


そういう雑音(安部ちゃんやら国歌やら国旗やらボランティアやら)を全て取り除いた時、それでも「日本が好き」という時の「日本」って、なんなんだろうなあ、と。


たぶん、それらしい答えとしては、「外国から帰ってきて、「ああ、帰ってきたな」と感じる、その得も言われぬ安堵感・安心感」とかになるんでしょうかね。


この「得も言われぬ」というのが重要。これを、「日本らしいきめ細やかさ」とか「治安の良さ」とか「勤勉さ」とか「規律の正しさ」とか、そういう「(良い方への)日本特殊論」系へ言語化・実体化することは、日本的左派のもっとも忌み嫌うところです。まあたしかに、こういう「日本の実体化」は、した途端に陳腐なものに成り果てますしね。


となると、日本のなにを愛せばいいのだろう。


国を愛するのも一苦労です。