そんなにオレが悪いのか

昨日は毛里和子日中関係』(ISBN:4004310210)を読みました。さすが。バランスの取れた論考でした。


これを読んで思ったのですが。


日本の戦争責任について、一方の極には、「戦争だから仕方なかった」「戦争だったら、どの国だってあれぐらいはやる」あるいはちょっと毛色は違いますが「あれは日本人だけの罪ではない、人類全体の罪だ。人類全体が責任を負わねばならない」みたいな、「日本(人)の責任」を目一杯希釈するやり方があります。これは、まあ典型的な責任逃れです。


もう一方の極には、逆に「日本(人)の責任」を目一杯煮染めて、「これは日本民族が嗣子代々永遠に背負わねばならない罪だ」というのがあります。いや、こういう言い方ならまだいいのですが、これが、最近中国で開かれる日中戦争関係のシンポで(中国人研究者のあいだで)よく飛び交うという、「[あんなことをやらかしてしまう]日本人の民族的劣等性」(p.167)みたいな言い方になると、「おいおいちょっと待て」といいたくなります。最近理系研究者のブログで「日本民族は全員鬱病」みたいな書き方をしておおいに叩かれたことがありましたが、これはやっぱりマズイでしょう。


ではこの中間のどこに針を置くのか。誰が針を置くのか。なんとも厄介ですが、でも忽せにはできない課題です。