知ってることを知っている

最近一部で盛り上がっている南京事件について、概説書の笠原十九司南京事件』(ISBN:4004305306)を読み返してみました。


読めば読むほど、「今と何も変わらんかも」と憂鬱な気持ちにさせられました。これまた話題になった安達誠司『脱デフレの歴史分析』(ISBN:4894345161)でも触れられていますが、まともな分析を何もせず、感情論や精神論や世論や、そんなのに引きずられてズルズルといってしまう、戦前・戦中のそんな空気を「それは昔の話だ」と突き放すことができるでしょうか。例えば昨日の亀田にしたって……まあ、ちょっとこれは違うか。


ところで、南京事件についての僕的キモは、「アメリカでは南京事件とパナイ号事件の報道を契機に、日本の中国侵略に講義する運動が活発になり、日本軍の蛮行から中国民衆を守り、救済するための中国支援の運動の輪もひろまって」(p.230)いたことを、日本の民衆が知らされていなかった、つまり、欧米世界が南京事件を知っている、ということを、日本民衆は知らなかった、というところです。おそらく、南京事件自体を日本民衆が知っても、別になんてことなかったんじゃないでしょうか。「支那膺懲」なんて言葉が踊っていた時代ですからね。

しかし、もし「アメリカに知られてしまった」ことが分かったとしたら、その瞬間、民衆は、へなへな〜となったんじゃないでしょうかね。


今までさんざん言われていますが、首相の靖国参拝、もし、アメリカがはっきりNoといったら、今の変人首相はともかく、民意が一気にヘタるのは目に見えています。だからこそ、右・左どちらの新聞も、なんとか自分たちに都合のいい主張をアメリカの政治家や高官から引き出そうと、あれこれ深読みしているわけです。その威力は、昭和天皇なんてもんじゃないでしょう。まあ、それをはっきり言わないのが、アメリカの東アジア戦略でもあるんでしょうが。


南京事件にしても、「アメリカに言われたから、南京事件は悪いことだったと反省する」というのは情けないといえば情けないですが、「周りの意見」というか「欧米の意見」をことのほか気にする日本人にとっては、道徳に訴えるのでもなく、利益に訴えるのでもなく、アメリカに訴えるのが、一番のツボなのではないかと思ったものでした。繰り返しますが、これ自体は、相当に情けないことではあります。