わーるどかっぷと愛国心と

 表題のテーマについて、「反愛国心」側の方にはやはりいろいろ葛藤があるようで、ブログを見ていると、「試合は見るけど、国歌斉唱が終わった頃から見始める」とか「その場面だけ音を消す」とか、それぞれ涙ぐましい努力をされているようですが、正直「なんだかなー」という感は否めません。


 もちろん、「君が代」が愛国心問題における重要なファクターであるのは異論はないですが、かといって、「君が代」さえ歌わなければ免責される、というものでもない。「日の丸」も一緒。「ひの・きみ」について、いわゆる左派の方にもさまざまな主張があるでしょうが、仮にこの先「ひの・きみ」が廃止され、それぞれ別のものに入れ替わったとしても、それで問題がどのくらい解決するのか?僕ははなはだ疑問です。


 今さら言うまでもないことですが、ナショナリズムというのは関係性の問題です。「自分たち」が脱ナショナリズムを掲げればそれで解決、というものではない。本当にやるなら「いっせいのせ」でやらんとだめでしょう。これは例えば、世界地図で、日本のところを「空白」にすればそれで国境はなくなる、というものではないのと(たぶん)一緒。日本「だけ」を空白にしても、結局そこだけ浮かび上がってしまうという点で、今までとなんにも変わりません。


 「国別対抗戦」を見る(あるいは行われる)という時点で、すでにナショナリズムの磁場に絡み取られているわけで、君が代を聴く聴かないなんてのは、些細な問題に思えてしまうのです。そうした行為にはなんの意味もないとは言わないまでも。


 
 これ以外の意見として、「ナショナリズム高揚の場となってしまう国別対抗のわーるどかっぷよりも、地域対抗で行われる各国リーグ戦の方が、イイ!」という意見もあるようです。ナショナリズムよりは地域アイデンティティということなんでしょうが、これもどうかしら。例えば有名なところでスペインのクラシコ、Rマドリーとバルサがあります。特にバルサが「(中央から虐げられてきた)バスク地方の象徴」ということでサポーターともども肯定的にとらえられる傾向にありますが、しかしこの先、サッカーによって焚きつけられた地域アイデンティティによって、独立運動が起こったら(もう起こっていますが)、どうするんでしょう。反愛国心・脱アイデンティティ側は、どういう対応を取ればいいんでしょう。「独立すべきだ!!」となると、結局もう1つ、ナショナルなものが誕生するだけです。かといって「するな!!」というと、既存のナショナリズムの片棒を担ぐことになってしまう。



 なので、真に「反ナショナリズム」(もっというと「反アイデンティティ」)を掲げるなら、「国家や地域の代表となるサッカーチームなど、廃止するべきだ」という主張が一番です。