誠実さ

思想空間としての現代中国

思想空間としての現代中国

導読として、

克服・拮抗・模索―文革後中国の文学理論領域

克服・拮抗・模索―文革後中国の文学理論領域


もちろん、アラを探そうと思えば、(こないだぼくがやった「どうせこの著者だってこの本出版して儲けて……」みたいな品のない中傷を含めて)それなりには出てくるのですが、まあしかし、彼のような「誠実」な、中国国内の過度なナショナリズム勃興に警鐘を鳴らすような知識人と連帯するのが、こちら側としても一番「誠実」な道なのかも、と思ったりしました。細かなアラを突っついて悦に入っている場合じゃない、と。

まだ読んでる途中なので正式?なレビューはそのうち。


まったく関係ないのですがamazonに対する不満。

・この本は昨日amazonから届いたのですが、なんかこう、本が汚れている。しかも帯がぐしゃっとなっている(まるで、帯の部分を指で引っかけて持ったかのように)。
別に潔癖性ではありませんが、やはり気になります。


・アマゾンレビュー。今さら気付いたのですが、「☆一つ」だと極めて載りにくいことが判明。つまんない本をつまんないと書いてなにがわるいんじゃ。

寸止め

例の本田ブログですが、確か誰かも書いていたように、基本的に学者には、ストリート・ファイトは無理なのです。


学者間のやり取りでは、「それを言ったらおしまい」なことは言わないのがお約束です(とくに、同じ分野の学者に対しては。まあそりゃ、自分にも降りかかってくるから、同然ですが)。それをいっちゃった、しかも学者が(学者も)。


もちろん、「そんな学者間の内規なんてシラネーヨ。だから学者はダメなんだ」というのは、これもストリート・ファイトの論法としては正しい。ただなんというか、相撲をやってていきなりプロレス……


いや、格闘技音痴なので安易な比喩は慎みます。要は、ブログというストリート・ファイトの場で、(僕のような匿名言いたい放題ではなく)学者として発言するのは、よっぽどの覚悟がないとダメだ、ということでした。