脱構築の前に
僕は研究では、脱構築系のことをやってます。
作り上げられた権威とか常識とか、そういうのをなで切りにするのって、けっこう気持ちがいいのです。
で、こっちの大学に来て、専門を教えることになりました。
さて、脱構築を教えよう。
あれ……
学生さんたちは、まだなんにも構築されていない……
これは盲点でした。脱構築するには、当然ながら、構築されていることが前提条件です。
構築されていないものを脱構築するって、まるで、まだ建てられてもいない建築物を破壊する、みたいなもんです。
しかしながら、僕の元で勉強する学生さんは、ほとんどが、中国文学に関する知識ゼロでやってきます。いや、ゼロは言い過ぎか、「三国志好きなんです〜」とか「漢文好きなんです〜」とか、まあそのくらい。
なので、とりあえずは、中国文学についてのスタンダードを構築することにしております。
しかしこの調子では、脱構築までたどり着ける学生は、ほとんどいないでしょう。まあそれでもいいか。
やりづらい授業
うちの初級中国語は、すべての学部ごちゃ混ぜでやるのですが、これが非常にやりづらくなってきました。
最初のうちは、「いろんな学生がいて、面白い」とノンキに思っていたものの、最近はちょっと処置なし気味。
当然ながら、受講する学生には、いろんな人がいます。「中国語を本格的に勉強したい人」「将来は中国で働きたいと思っている人」「よくわかんないけど、これからは中国の時代かも、と思っている人」「勉強なんか死ぬほどやりたくないけど、とりあえず単位だけはほしい人」etc...
これらは、個別にだったら、まだ対応可能です。クラスみんなが「勉強なんか死ぬほどやりたくないけど、とりあえず単位だけはほしい人」なら、それはそれでやりようがあるのです。
しかし「中国語を本格的に勉強したい人」と「勉強なんか死ぬほどやりたくないけど、とりあえず単位だけはほしい人」が混ざっているというのは、極めて厄介です。要は、「どっちに合わせるか」で、頭を悩ませることになるのです。
カリキュラムを変えられるように動いてみるか……