物語vs.物語
今はこの本を。
- 作者: 岸政彦
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2018/10/30
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (3件) を見る
このなかで、物語が重要なキーワードになっています。つまりは、「社会の物語化」への抗い。
ここのところ、物語が巷に氾濫しています。就活も地域活性化も、もう全部物語。要は物語マーケティングです。ストーリーにしてわかりやすく話せ。そうすれば客は食いついてくる。
……という動きを批判している。ものすごくまとめてしまえばそうなると思います。
しかし一方、物語研究の本家といえる文学研究は、こうした「社会の物語化」の議論に、やや冷淡というか蚊帳の外なんですよね。賛同であれ批判であれ、それに関与していくという動きは、あまり見えない。
むしろ同書のように、社会学なんかから、「社会の物語化」にどう対処するべきか、という議論が起きている。
別に文学に絶対に関与しなきゃならない義務があるわけではないですが、そのへんをどう架橋するかという論文を、今書いてまして。という宣伝。
基本を学ぶ
これが出ました。
- 作者: 中国モダニズム研究会
- 出版社/メーカー: 関西学院大学出版会
- 発売日: 2018/11/05
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (1件) を見る
私もチロっと書いてます。
ついでに、今、授業ではこれをテキストにしています。
- 作者: 中国モダニズム研究会
- 出版社/メーカー: 関西学院大学出版会
- 発売日: 2016/10/10
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (1件) を見る
ただ正直、なかなか難しいなあと思ってまして。
執筆者、みなさん中国のプロなので、できるだけマイナーな、とっておきの文献や情報を載せてるのですよね。
一方、私の授業の受講生は、ほぼみんな中国素人。中国のちゅの字も知りません。
この辺のミスマッチが、授業やる身としてはなかなかしんどいのですが、ただ今どき、「基本的な知識」などという定義自体が無意味なのかもしれないので、好みの問題なのかも。
いい文章ってなに?
大学のレポート作成・採点の時期になると、ネット上で大学教員が「いい/悪いレポート」についてあれこれ言い出すのが風物詩になっています。
近年では、「余計なこと書くな」が主流。末尾に「私はこうすればいいと思う」「私はこうしていきたい」みたいなのを入れちゃダメ。そんなのこっちは期待してない。事実に基づいて淡々と書けばいいのだ。という。
まあわかるのですが。
でもいっぽう、私の専門が文学だからかもしれませんが、それじゃあつまんないよな、とも思うです。
それじゃあ個性が出ない。ロボットが書いたような文章に何の意味があるんだろう。そりゃ将来、会社の報告書に詩的な文章書いたら怒られるだろうというのもわかるけど、でも「1たす1は2です。」みたいな文章書いてりゃいいんだというのには、100%の同意はできないのです。
私は「この人物は野に咲く一輪の花のように可憐な人生を送った」的な文章も、それなりにアリだと思うのですよね。もちろんそういう文章は往々にして滑るわけですが、それはそれでアリ。まあ限度はあるだろうけど、そのあたりで多少の個性を出すのは、ダメじゃないんじゃないか。
などと考えるです。まあ私も、自分の文章にはまったく自信がないのですが。
安楽椅子研究者
中国になかなか行けなくなりました。
中国研究者として、由々しき事態です。
が。
今では、ネットでいくらでも現地の情報が入ってくるのですよね。
日本語で読めるものも多いし、現地のも含めれば、その量は膨大です。とても見きれないほど。
一方、中国に行ったって、行くのはせいぜい図書館と本屋。あとは街をブラブラ。
ナマの中国人と触れ合う機会、実はほとんどありません。せいぜい、現地の大学の先生ぐらい。それ以外の知り合いなどいないし。あとはタクシー運ちゃんが話しかけてきたら応答する程度。
下手すりゃ、日本にいる時のほうが、留学生や同僚やらの中国人と接する機会が多いほどです。
なのでまあ、悲観することもないのかなあと自分を慰める今日このごろです。
留学生の季節
この時期は、留学生が来て、いろいろ手続きする時期。
まあしかし、留学生、特に中国人留学生も、様変わりしました。
ちょっと前までは、明らかに余裕がなかった。たいていが、はじめての海外。緊張が明らかに伝わってきた。
が、今では、みんな落ち着いたものです。留学に来るような学生は、海外慣れしてるんでしょう。ああなるほど、これをやるわけですね、わかりました。とみんな落ち着いた対応。
北京の有名大学から来た学生に、「なんでうちみたいな田舎に来たの?」と聞いたら、「都会は騒がしいので、1年間、のんびりと過ごしたかったんです」と。
ぜひ、田舎暮らしを楽しんでいって下さい。
老いに向けて
介護をやってると、自分が歳とったらどうする・どうなるというのを、よく考えます。
そこでいえるのは、「できるだけ若い人のいうとおりにしよう」ということですね。
何よりも現役世代の負担を少しでも軽くしよう、それが重要。そのためには多少の苦労も我慢します。デイケアに行きたくなくても無理していく。食い物が美味しくなくても文句いわない。
これ、仕事でもそうですよね。
特に今、社会の動きがものすごく早い。老人の経験などほとんど役に立たない。
なのでオレがオレがじゃなく、若い人に「これやっといて」といわれたらわかりましたと素直にやる老人になりたい。
でも我ながら好き嫌いは激しい方なので、はたしてその通りできるかどうか。今のうちから我慢の特訓をしておきます。
人間の能力
前のと似たようなネタですが、人間の(仕事の)能力というのも、わからないですよねえ。
「いわれたことをキチンとできる」というのもそれに入るでしょうし個人的にはそれが一番だと思ってるのですが、さすがにそれだけじゃあねえ。
で、出てくるのがコミュニケーション能力です。
これ、バカにしたり批判したりする人多いですが、ただ広い意味でのコミュ力が不要、そんなの仕事の能力のうちに入らない、とはさすがにいえないかと。
たとえば、今日ツイッターで回ってましたが、オックスフォードだかの先生が「解決策を5分考えてわからなかったらそれ以上自分で考えても無駄だからとっとと他の人に聞くほうがいい」のだそうで。
実際、私の身の回りでも、「これ、誰々に聞けばいいのに」と思うことはいっぱいあるし、そもそも自分自身も「こういう知り合いがいたらなあ」と思うことはしょっちゅうです。
これ、コミュ力の出番ですよね。解決策を知ってる人、あるいは知ってる人を知ってる人に頼めるのも、コミュ力があってこそです。
そもそもそういう知人(人脈)を作っておくのも、コミュ力があってこそです。
組織の上に行けば行くほど自分でやるよりやれる人を探してやらせることのほうが多くなっていくでしょうから、コミュ力が大事になる、というのも十分わかります。
問題は、これ、伸ばそうと思って伸ばせるもんじゃない、ということです。ある程度は伸ばせるかもしれませんが、往々にしてコミュ力のない人は「コミュ力を伸ばすためのコミュ力がない」状態です。私もまさにそう。
ま、つくづく、サラリーマンやってなくてよかったですわ。絶対に無理。